●小学生のイノッチが最後に食べようと残していたサツマイモを食べてしまった話
1988年頃、光GENJIのコンサートのジュニアの楽屋で弁当が1人分ずつあり、その弁当に輪切りの甘いさつまいもが入っていた。イノッチはそれが好きで、小学校6年生のイノッチは最後に食べようと残していた。城島は隣に座っていたらしく「井ノ原くんもったいない、さつまいも嫌いなんや?僕好きやからもらってええ?」と取ったらしいのです。当時城島は高校3年生。このことを20数年経ってから言われたのだそうです。(2018.10.4 アッパレやってまーす!木曜日)

●ちらし寿司を出前して酢飯だけ食べた城島リーダー
城島さんはプライベートで海鮮丼食べたことが無い、仕事で出てきたら食べるが、プライベートでは18歳の時に食べたちらし寿司が最後なのだという。城島くんは18歳、中居くんと木村くんは16歳の時、合宿所でジャニーさんから出前とろうか?といわれた。当時合宿所にはジュニアの城島くんやデビュー前のSMAPなどがいて、SMAPは皆「寿司!」と注文。するとジャニーさんから「寿司もいいけどちらしとかもあるよ?」ちらし!という子もいたりするなか、ジャニーさん「城島君は?」城島は一番年上だったので「ぼくなんでもいいですよ」ジャニーさん「ちらしにするかYouは?」そして出前のちらしが届いたのだが、上に乗っている刺身を全部皿にどけてから食べようとしたら、まだ小学校6年生の慎吾くんが 慎吾「城島くん刺身苦手なの?」城島「ん?食べる?いいよ食べ~」高校3年生だった城島は小さい子全部食べたいんだったらいいよと全部あげて下の酢飯だけ食べた。それ以来ちらし寿司は食べていないという。(出典:2015.4.2 アッパレやってまーす!木曜日)

●ジャニーさんに似た人に怒られた話
城島茂さん17歳の時に事務所のお偉いさんと初めて会うとなった。
立って挨拶したら

「私座ってんだからあなたも座りなさい!!」

と開口一番怒られた。楽屋に凄いジャニーさんに似た人が座っていてでもその方は女性。ジャニーさんが女装しているのかと思ったらお姉さんだった。本当に思わず固まってしまったという。 (出典:2014.6.26 アッパレやってまーす!木曜日)

●怪我したメンバーの穴埋めでTOKIOに加入した長瀬智也
城島が長瀬智也が初めてジャニーズに入ってきたときの印象が、ゴリラの子みたいでポケ―っとしていた。

その子をジャニーさんがジュニアからTOKIOに入れていい?となった。

元々長瀬智也はTOKIOにいなかった。途中からCDデビュー前にボーカルに抜擢。その前からTOKIOはあったがそこにジュニアの長瀬くんが入ってきた。入ってきた理由が一人怪我したのでその穴埋め。穴埋めで同じ衣装着てミュージカルのバックダンサー。この子勢いあるからと加入。そのまま一緒に踊って気が付いたらボーカル。15歳で長瀬くんはデビュー。「LOVE YOU ONLY」

●JRAのCMソング「LOVE, HOLIDAY」はコンペで長瀬の曲に決まった
2014年JRAのCMキャラクターにTOKIOが起用され、CMソングの「LOVE, HOLIDAY.」は長瀬智也が作詞・作曲を担当。
JRAとタイアップが決まってから、主題歌を作ってくださいと最初は長瀬個人ではなくTOKIOに依頼がきた。そして会議をして曲のイメージや、LOVE, HOLIDAYをキーワードにしてなど打ち合わせを行う。城島は2曲、長瀬は4曲、他のメンバーも1曲ずつ書いてJRAがコンペを行い長瀬の曲に決まった。TOKIOの楽曲はセルフプロデュース。全て自分たちで行うシステム。長瀬がずるいのがデモの曲が長瀬自身の声が入っている。太一はキーが低めなのでピアノの音がメロディで入っている。長瀬は、自分で、家で作ってるから、自分の声。聴いたら、まんまTOKIO。クロコーチのドラマの主題歌も、ボン・ジョビみたいな感じとプロデューサーから指定があった。それも長瀬の作ってきた曲が採用。各メンバーのデモ曲は、ずべて長瀬が歌ってくれればと話していましたが、時間ない中で作ってるから、それぞれになるのだという。(出典:2015.1.1 アッパレやってまーす!木曜日)


●城島茂が成人式に出席しなかった理由
城島が成人した時は既に東京に出てきていた。その時はまだ奈良に籍を置いていた。TOKIOというグループはあったがまだデビューはしていなかった。奈良に帰るのに新幹線とかお金がかかる、それだけのために戻るのもお金が無い。城島の地元は金魚の名産地で有名な郡山なのだが、親が仕事の都合で吉野に引越したためそこから成人式の招待状が来た。誰も知らないしお金も無いから参加をしなかった。(出典:2015.1.15 アッパレやってまーす!木曜日)

●中学時代はバトミントン部、アニメ同好会に所属
城島茂の中学時代、通っていた中学校では何か部活に入らなければならなかった。1回アニメ同好会に入ったのだが、そこからみんなバトミントンやれよやれよとなり、ちょっと付き合いでやってみようとバトミントン部に入部した。しかし、当時しごき、スポ根、ずっと中腰で声を出し、水は飲むなという時代、こんなしんどいんのみんなよーやってんな、辞めて普通に遊ぼうや!友達もそうしようか!と2日くらいかけて友達を説得して辞めさせた。

●浅草によく行く
浅草だけは10代の頃から好きでよく行く。俗っぽい大阪っぽい雰囲気が好き。浅草六区やストリップの雰囲気がいい。今は無いが1989年の頃は3本で500円の映画もやっていたので見に行っていたという。また、浅草に行った時に若いカップルに「すいません、写真いいですか?」とiPhone渡されて「2人撮ってください」と城島がカップルを撮ってあげたことがあったという。(出典:2015.5.7 アッパレやってまーす!木曜日)

●TOKIOの昔の衣装は光GENJIのお下がり
TOKIOは独自の路線の衣装で山口は袖をぶった切る、長瀬は昔短パン、松岡はダボダボの服が好き、太一は短パンスタイルにジャケット、城島はプレスリーみたいな袖にヒラヒラが付いているパターンで、個性バラバラ。衣装は先輩の光GENJIのお下がりだったので、形は一緒で色違い。GENJIは5人でTOKIOも5人なので一緒。それではそのTOKIOの衣装のお下がりは誰が来ていたかというと嵐。
嵐も今では独自の衣装だが、デビュー前はTOKIOのお下がりで二宮は城島のプレスリーのヒラヒラを着ていた。

●TOKIOからくりTV降板の時にさんまに言われた一言
からくりTVにTOKIOがレギュラーで出演していた頃、全員ではないが2人ずつや1人と出演していた。その裏番組で鉄腕ダッシュが始まることになった。そうなると自分たちの看板番組なのでからくりTVに出れなくなる。最後挨拶の時に食事会になり
「こんな形になってすいません、さんまさん、裏でやることになりました」
といったところ さんま「数字もっていけや。おれら今取り過ぎてるから、数字もってそれが恩返しやと思って頑張ってくれ、ガンガン数字取ってくれ」これを言われた城島茂は泣きそうになったのだそうです。(出典:2015.10.29 アッパレやってまーす!木曜日)

●事務所を辞めるか悩んでいた城島茂に中村繁之がかけた一言
元ジャニーズの中村繁之は城島茂が一番お世話になった先輩。城島がデビュー前に事務所を辞めようか迷った時があって、中村繁之に相談をした。
中村繫之「お前、やめんの簡単だけど戻ってこれないぞ、やめる前にお前はやりきったのか?やりきってから言えよ!」
と言ってくれて背中を押してくれたのだそうです。(出典:2016.1.7 アッパレやってまーす!木曜日)

●奈良商業時代のスキンヘッドでサングラスをかけた熱い先生
城島の高校時代の先生に、スキンヘッドでサングラスをかけた熱い先生がいた。その先生の前で短ランを着ていると後ろから破られた。先生に歯向かおうとすると頭突きされる。本当に怖かった。その先生は後に教頭になり城島の高校の後輩と修学旅行でジャニーズ野球大会を見にきてくれた。あれだけ怖かったのに、スーツ着て花束もって挨拶にきてくれたのだという。(出典:2016.3.17 アッパレやってまーす!木曜日)

●1988年城島茂が木村拓哉と東京ドームでマイケル・ジャクソンのコンサートを見た時の話
1988年東京ドームでマイケル・ジャクソンコンサートがあった。ジャニー社長に「チケットあるから行くか?」と言われ、社長は行けないので、行くんだったらということでチケットを頂いた。もう一人○○も行くっていってたらからあいつにもチケット渡している。社長にチケットを頂き、現場に行ったら横がデビュー前の木村拓哉だった。木村と2人でマイケル・ジャクソンのコンサートを見ててショーの最中にマイケルが黒いハットを飛ばしてきた。城島と木村の頭上をまさにシューっと飛んできた。2人で手を伸ばしたが、2人ともギリギリ届かなくて、もし長瀬や松岡だったら届いてたくらいの近い距離でカスッた。指先触れるくらいの距離であった。そこで木村が「ちょ、待てよ!」と言ったかどうかはさだかではない。もっと凄いと思ったのが、それから何年かして東山さんの家に行ったら、マイケルと2ショットの写真とマイケル本人からもらった帽子が置いてあったという。(出典:2016.3.24 アッパレやってまーす!木曜日)

●原宿にあったジャニーズ事務所の寮、下の階には永谷園の社長が住んでいた
原宿にあったジャニーズ事務所の寮、下の階には永谷園の社長さんが住んでいたという。それでバク転をよくやっていて、よく怒られた。一度ジュニアがトイレを詰まらせたことがあり、下に漏れてまた怒られたのだという。

●高校時代に少年隊東山の髪型をマネしようとしたら前髪が無くなった
城島茂が高校生の時に少年隊がデビュー。東山のサイドバックリーゼント、パーマをあてて前髪を下ろす髪型を明星ヘアカタログでみてカッコいいなと思っていた。夏休みの初め頃だったので、それだったらパーマあててもええやろと理容室に明星ヘアカタログを見せて東山さんみたいな髪型してと頼んだ。田舎の理容室なのでロッドが細い、後から考えたら太めのロッドで緩くフワッと巻いていることが分かった。それを知らないので、理容室にどうする?といわれて城島は、せっかくなんできつめにあてて と頼んだ。結果、おでこが普通の人よりも広い城島は、ロッドを外してブローしてもらったら前髪が全然無くなっておりチリチリのパンチパーマになり、東くんというよりもそのまんま東みたいになってしまい、床屋のおっちゃんに凄い怒ったのだという。(出典:2016.6.30 アッパレやってまーす!木曜日)

●奈良商業体操部時代に遠征先の高校にトレパンを忘れてきてしまった話
奈良商業高校時代は帰宅部だった。校則で部に入らなければならないとなっていたので、一応籍だけ体操部に入れていた。部活には何回か出たぐらいであり、でんぐり返しをしたりと、高校で基礎のでんぐり返し、ジュニアがやるようなことをやっていた。活動場所が体育館のステージにマットを敷いて活動していた。場所がそこしかなかった。ロイター版置いて助走してなんやくらいしかやらなかった。跳馬、鞍馬もなく、あるのはマットと跳び箱、鉄棒ぐらい。鉄棒といっても体操の鉄棒ではなく、学校ならどこにでもあるガチ鉄棒。部員は、1年生は城島と同じクラスの人だけ。後は女子の先輩が数人。1回だけ他の高校に遠征に行ったことがあった。遠征といっても器具がないから練習をさせてもらうだけであり、鞍馬や跳馬があるのを見て体操ってこうなんやと思ったという。跳馬をやるときに補助がつくのだが、城島が跳馬の練習をするとき女子の上級生が両側に立ってくれることになった。走って跳馬にポーンと手をついてくるっと回転するときに補助が膝を回してくれるのだが、城島は初めてだったので手がズルっとずれてその瞬間に自分のチ〇コのポジションがあっとなって女の子の手が太ももではなく股間にいって、女の子は「キャー」、城島は「ぎゃー」となってむっちゃ恥ずかしくなった。1時間練習して帰りますか?となって城島は早く帰りたい、全然知らん子に触れて思いながら慌てて着替えて学校に戻った。次の日体育の授業の時にトレパンが無いことに気付いた。僕のトレパンが無い・・・。その次の日遠征先の高校から電話がかかってきて「城島って書いたトレパン忘れてますよ」それぐらい恥ずかしくて慌てていたためトレパンを忘れて帰った思い出。(出典:2016.8.25 アッパレやってまーす!木曜日)

●アメ横で買った革ジャン固すぎて鞭打ちに
デビュー前にアメ横で買った革のシングルライダース。1回着たが固くて、着てれば馴染むとはいうもののあまりにも固くて鞭打ちみたいになった。真っ直ぐ過ぎて肘も痛い。これを着てるぐらいなら誰かに貸してたほうがいいと思ったが、折りたためてギュウギュウにクローゼット入れておけば型付くやろと思ったが、未だに固い。やはり柔らかいのがいいやと思って奈良の実家に帰り
「母ちゃん革のお下がりでなんか柔らかいのないかな?」「なんか知り合いのおじちゃんが置いてったやつあるで」 城島は、知り合いのおじちゃんが置いてったやつってなんやろ?と気になったが、革ではないが皮のような光沢の入ったよくいえばフェイクレザーだった。これええやんブルゾン型でジッパーあって手首のところがニットになってキュッとしまっていて、これええやん!こんなやわらかいの欲しかったんや~、それを着て東京の原宿の合宿に帰った。合宿所には同世代の子みんないて 「茂くん(リーダーと呼ばれる前)、それどうしたの?」「ええやろこれ!実家から持って帰ってきたんや」「なんか全部チャック開けてみて。なんか泥棒ジャンバーみたいだよ。」口ひげ書いたら泥棒みたいだよと言われた。ファッションではなく、昭和のおっちゃんが着てそうな、泥棒が着るベタなジャンバー。(出典:2016.10.6 アッパレやってまーす!木曜日)

●城島茂の同期
城島茂の同期は、デビューする前の19歳の頃に松村雄基が先生役の駅伝のドラマに出演。その時に同い年ぐらいが集まる。それが同期だが、今でも現役の人はいるが辞めてる方が多い。今は城島と全く同い年の人はいない。その当時のメンバーの中で事務所は違うが同い年でよく遊んでいた人がいた。その彼は一人暮らしで当時は城島よりも先に売れていた。城島は当時原宿の合宿所に住んでいたが、その彼は原宿から2駅離れたところに住んでいた。城島は電車賃が無かったので原宿から2駅分を歩いて遊びにいっていた。お金が無いので何するわけでもないのだが、家にあがってギター談義をしていたという。城島のジャニーズの同期は、3ヶ月先に入ったV6の長野博。年は下だが同期。また、以前大映ドラマの現場で彦摩呂に「城島く~ん」と挨拶されたことがあった。当時は幕末塾でまだ痩せていた。それから10数年経過してテレビを見たら凄い食べる人が出てきた。後に現場で会ったら「城ちゃん久々や~ん、憶えてるー?おうたやん大映のドラマのとこで挨拶したやん」。痩せてる頃の時代の彦摩呂。(出典:2018.10.18 アッパレやってまーす!木曜日)


●長瀬智也 街中で怪しさ全開の城島リーダーを偶然見かけた話
長瀬が歩道でバイクを直していたら「歩道の向こうからあぶない人来たな」と思っていたらリーダーだった。城島も「いかついゴリゴリの集まりがおるなぁ~」そこを渡らないと家に帰れない、どうしようかな~と思っていた。おそるおそる歩いていったら
「長瀬」だった。長瀬が城島を怪しい人だと思った理由は、ファッション・マスク・メガネ、すべてのセットアップが合っていなかった。(出典:2018年10月31日放送のTOKIOカケル)

●韓国でV6リーダー坂本くんと間違われる
仕事で韓国行ったときに帰りに空港のお土産売り場で何か買って帰ろうかなと思った。ベタだけど韓国のり買おうと思ったら、お土産屋のおばちゃんが「あらマタキタネ!」 城島は、えっ!?となり「また、というか4、5年前ですね」その時のこと覚えてるのかな~と思ったが、お土産屋のおばちゃん「先週、先週!」城島「先週僕、来てないですよ」お土産屋のおばちゃん「来たよ!韓国のり買ってったじゃない!」 城島「えええ!」って言ったら お土産屋のおばちゃん「うん!リーダーでしょ」城島「はい」お土産屋のおばちゃん「ほら!リーダーV6!」城島「僕、TOKIO、TOKIO!」お土産屋のおばちゃん「V6リーダー?」城島
「TOKIOリーダー」V6のリーダー坂本くんと間違われてたのだという。
他には、どこかの温泉街にロケに行ったときに川沿いを浴衣を着て歩いていたおばあちゃん達にSMAPのリーダー中居くんに間違われる。用賀の商店街にある八百屋さんでも、用賀の青果の相場を知ろうとじーっと見ていたら、嵐のリーダー大野くんに間違われる。ジャニーズのほかのグループのリーダーに間違われることが多いのだという。(出典:2018.11.29 アッパレやってまーす!木曜日)

●めちゃイケ 寝起き早食い選手権
寝起き早食い選手権は、寝て起きて何秒で大好物の食材を食べることができるかという企画。ドッキリロケの前日、仕事の帰りにマネージャーからいつもは自宅迎えだが、もろもろあってホテルということを聞される。城島は、ホテル泊るの苦手と思いながらもホテルへ宿泊。その泊った次の朝にカメラが入ってきて、いきなり目の前に茄子が出され「何これ?」と思ったという。
当時の映像を見ると、岡村からレンゲによそった麻婆茄子(赤坂・赤坂飯店)を出され、パクリと食べる。タイムは32.0秒 矢部にこの記録はいかがですか?と聞かれた城島は「何すかこれ?次は記録更新します」と答えている。さらに近くに置いてあった城島の眼鏡を見た岡村に「年寄りの眼鏡。コント眼鏡や。ジャニーズちゃうで!松竹芸能やがな」といじられている。(出典:2019.2.28 アッパレやってまーす!木曜日)

●映画『E.T.』を上本町に観に行った時の淡い思い出
1982年公開された映画『E.T.』 この映画を城島茂は、上本町で見ている。あだ名が”ブルドック”という女の子と一緒に見に行った。電話がかかってきて誘われた。ブルドック「城島くんET見ーひん?」城島「えぇ!?何でやねん!」ブルドック「見ーひん?チケットあんねけど?」城島「なん!お前とかー?」 結局ブルドックと一緒に見に行くことになった城島だが、「うわ~城島ブルドックと一緒に乗っとるやんけ」丁度電車に2人で乗っているところを知り合いに見られてしまい淡い思い出となっている。ETは立ち見で観たという。(出典:2019.3.21 アッパレやってまーす!木曜日)

●24時間テレビのマラソンの裏話
城島茂さんが100kmマラソンに挑戦した際、明らかに例年のランナーのペースから考えるとゴールできない、放送時間内にゴールできないペースだったという。残りの距離をどう考えても無理。日テレの内部、スタッフさんは毎年やっているマラソンだから、これだと間に合わないから時間を引き延ばすにしても番組何時までと決まっている、その後行列があったりと、推定台本でこの時間から行列を延長させてとするしかない、みんな間に合わないだろうということになっていた。ところが鉄腕ダッシュのプロデューサーとメンバーは、城島が走っているモニターを見つめながら『絶対間に合う』と信じていたのだという。城島は走りながらも横にいるトレーナーや一緒に走ってくれる伴走のマラソンのスタッフから「これじゃ間に合わない、このペースじゃ間に合わない」と言われてしまう。そして赤信号で休憩しているときにどうやったら間に合うんですか?と聞いたところkm〇分ペースじゃないと言われた。そんなペース練習でも出したことない、どうやったらいいんですか?となった。ただ、その言われたペースは、赤信号で止まった場合も含めてのペース。このぐらいのペースでいけば大丈夫、その代わり赤信号で止まったらアウト。そんなペース無理だと思った城島だが、スタッフからは「いや大丈夫!」この区間何秒たったら何分たったら信号が青に変わるというのを全部タイム計ってくれていて、マラソンスタッフは逆算して先読み先読みして、「ここの区間は何分で走ってください!」「赤になった!ここで息整えて!」とマラソンスタッフの指示を守りながら走ったら城島は放送時間内に見事ゴール!この時城島は、自分だけのスパートだけでなく、スタッフ、トレーナー、コーチの存在、側にいる人のアドバイスってもの凄い効くということを実感したのだという。(出典:2019.4.18 アッパレやってまーす!木曜日)

●令和を迎える瞬間は愛媛の漁港にいてその後カツオ漁へ
令和を迎える瞬間、城島茂は愛媛県の漁港にいて漁師さんと令和を迎え、その後カツオ漁へ行った。その瞬間は、ジャンプして迎えたという。2019年6月2日放送の鉄腕!DASH!の「初モノ奪取」で、村上信五と令和初日のカツオを食べるため漁に出た回。(出典:2019.6.26 TOKIOカケル)

●こだわり自家製 橙ポン酢
2019年11月12日放送のあさイチで、城島茂さんが橙を使ったこだわりの自家製ポン酢を紹介されていました。

材料
・橙(果汁) 1/2コ分
・昆布しょうゆ 20ml
(しょうゆ200mlに対し 昆布8cm四方1枚)
・だし 25ml

酸味が苦手な方は、橙の量を加減して欲しいとのことでした。